About
Profile | プロフィール
1994年東京都出身。2020年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。2023年同大学修士課程美術教育研究室修了。現在立教大学教育学専攻博士後期課程在籍。
主な個展には「共生への賛歌」(美岳画廊, 東京, 2022)「菊地虹 個展」(Artglorieux, 東京, 2023)、「工作の域を出ない」(ターナーギャラリー,東京,2023)があり、主な受賞歴には「ターナーアクリルガッシュビエンナーレ2018 入選」「ターナーアワード2021 大賞」「未来展 日動社員投票賞」「WATOWA ART AWARD 2022 入選」がある。
また作家活動と並行して2016年から7年間、御茶の水美術学院にて講師を務めた。
Exhibition | 展示歴
2021年
「Multigeneration Square/交錯する世代、対峙する絵画。」,GALERIE SOL 藍画廊
「KO KIKUCHI EXHIBITION」,GALLERY B. TOKYO, 個展
「朋芽展」,松坂屋上野店
「未来展」,日動画廊
「On the river」,二子玉川河川敷
「冬の風景・冬の花展」,GALERIE SOL
「KO KIKUCHI EXHIBITION」,TRiCERA MUSEUM, 個展
2022年
「&Drawing/Multigeneration Square 2022」,GALERIE SOL 藍画廊
「FLOWER FLOWER FLOWER」,あるぴいの銀花ギャラリー
「NICE BOAT」,STAGE-1
「共生への賛歌」,美岳画廊, 個展
「KO KIKUCHI EXHIBITION」,9s gallery, 個展
「未来展」,日動画廊
「HOLBEIN ART FAIR 2022」,渋谷スクランブルスクエア
「美岳画廊開廊50周年記念展」,美岳画廊
「WATOWA ART AWARD 2022」,WATOWA GALLERY
2023年
「ピッコリーノ展 小さな絵画コレクション 13」,美岳画廊
「エロカワ美少女展」,渋谷スクランブルスクエア
「コーポレートアートエイド京都」,京都市美術館別館
「neoマチエール展」,大丸東京
「菊地虹 個展」,Artglorieux, 個展
「工作の域を出ない」,ターナーギャラリー, 個展
「ARTELIER LIFE展 vol.1」,NU茶屋町4階 STAND PARK
「八丁堀・涼風会展」,美岳画廊
「夏の会展」,日動画廊
「菊地虹 個展」,haco - art brewing gallery -, 個展
「藝大生が子どもの頃に描いた絵画展」,根津カレーLucky
「IGNITION Japan-Taiwan Exhibition by ArtSticker」,333gallery
「船出展」,美岳画廊
「Hello +ART Tokyu Plaza Shibuya」,+ART GALLERY
「GINZA トランキール Tranquille! Vol3」,Artglorieux
2024年
「THE HAPPY NEW YEAR 2024」,+ART GALLERY
「第9回大絵画展」,京成百貨店
「ピッコリーノ展 小さな絵画コレクション 14」,美岳画廊
「ONE ART TAIPEI 2024」,JR東日本ホテル 台北
「AFT Market」,ART FOR THOUGHT
「船出展-東京藝大卒業生・在学生による-」,美岳画廊
「第二回コーポレートアートエイド京都」,京都市美術館
「SPECTRUM」,ART FOR THOUGHT
「八丁堀・涼風会展」,美岳画廊
「SQUARE EXHIBITION」,ART FOR THOUGHT
Statement | ステートメント
私の絵は、いわば「SPECTRUM」な絵画。
バラツキが交差し続ける世界、その瞬間の”観測”なのである。
私が通底とするテーマはSPECTRUMだ。辞書を引けば「連続体」「範囲」の意があり、スラングでは「雑多」「多種多様」のニュアンスで使われるワードだ。この語に惹かれた理由は定かではない。しかし、私の作風が常に変遷を繰り返すことも関連するのであろう。
油絵具を初めて触った。
その瞬間から、塗り重ねるほどに深みが増すような不思議で濃厚な表現に憧れた。
しばらくは西洋の近代画家、例えばセザンヌ、ゴッホ、コロー、ルノワール、ピカソ、クレー、またそれらを受容した日本人に影響を受けた。海外へ行った後は現代アート・東洋的な表現・ミクストメディアにも関心を抱いたし、抽象画・イラスト・漫画のような絵も描いた。しかし最近は近代絵画的作風に回帰した。
そう、私の作風は常にバラついている。終わりのない表現の探究が駆り立てるのだ。しかしその対価として、何に対しても中途な態度を余儀なくさせられている。
一見両立しないものをボーダーレスに捉える”癖”があるとも言えるだろう。日本的と西洋的、近代と現代、純粋と不純、抽象と具象、ポップカルチャーとハイカルチャー。そのどれでもあり、そのどれでもない。
無限の探求とボーダーレス。
そこから描かれた作品は、バラツキが交差し続ける世界、その瞬間の”観測”なのである。
今はそれを「SPECTRUM」と呼ぶほかに、手立てがない。
旧版(2023年)
「工作の域を出ていない」
意欲作だった卒業制作を前にして、尊敬する大学の教授に言われた一言だ。
叱責の言葉だったのかもしれない。
しかし、私はその一言で、不思議と気が楽になったのだ。
思えば、生まれて初めて触れたアートと考えられるものは、
幼少期にありふれた素材で遊んだ、工作と呼ぶべきものであった。
それが画塾や大学に通い、西洋画に興味を寄せ学ぶなかで、
紙を切り貼りし、クレヨンを塗り込んで遊んだ記憶よりも、
いつからか崇高性の高そうな、艶のある立体的な描写がなされたそれが
アートの本流だと考えるようになっていた。
ある時から、とたんにポップな作風になったことも、
なるほど、これは幼少期の工作の感覚が浮上してきたのか、
と教授の言葉を聞き、とたんに合点がいったのである。
私の作品の前提にして本流は、
なんてことのない落書きや素材遊びなのであった。
それからは、いわゆるハイカルチャーなアートではない、
ポップカルチャー、フォークアートに類する作風で制作してきた。
その際、絵画作品の平板な表面で、
ありとあらゆるバラツキが等価値に扱われることが自分の美意識と重なるところから
「SPECTRUM」という言葉を用いるようになった。
これは分散光という意味で、
様々な素材や文化を横断し一緒くたに扱う私の作風を示すのに適していると考えた。
また、ノートに書く落書きのようなものを、プロジェクターで投影してキャンバスに転写し、
それに影をつけてイリュージョンを与える「DOODLE」シリーズは、
アカデミックから外れるような図画工作的な描画を、
西洋のアカデミックな裏付けを与えて作品化する試みだ。
近年、徒然なるままに制作してきた作品は、
現代美術や絵画作品の衣をゆるりとまとった、いわゆる造形による遊びの産物である。
これらはすべて、工作の域を出ないものである。
しかし、私はこれらに、
どうにも関心が尽きないのである。